
世の中のおやじ連中でバンド活動をする方々は結構いるものだ。ばぶれもんもそのたぐいではある。少年時代好きなミュージシャンに憧れ、少しでも近づきたいと考え、はじめはベンチャーズやらビートルズやらツェッペリン、パープルあるいはフォークソング。吹奏楽部からジャズフュージュンなんてゆうテクニック派も居たね。乱暴な言い方をすれば仮面ライダーごっこと変わらないと思わないか?でもいつしか音楽自体を愛するようになってくる。中にはこの道で生計を立てようと考え始めるヤツも居た。でも大勢の諸君は社会性を見極め趣味と割り切って賢い選択をしたのだ。仕事、結婚と歳月が流れ愛する妻は子供のもの、又は自営業も一段落。ふと気づいたときに人生何となく先が見えてきた寂しさめいたものを感じたりする。そんなときほこりをかぶったギターを押入の中から引っぱり出しこれもほこりをかぶったグヤトーン辺りのアンプにつっこめばボリュームのガリノイズと共にスモークオンザウォーターのフレーズが流れてくる。以外と覚えているもんだ。気がつけば昔のメンバーと久しぶりに連絡を取るがなかなかメンバーが揃わない。ドラムとキーボードは東京在住だ。メンバーのつてを辿って若いあんちゃんとピアノを教えている知り合いの妹を頼み込んで何とか形にしたバンド。二年越しでようやく完成したバンド。この先は想像すまい。こんなバンドがおやじバンドでいいじゃないか?
ばぶはちょっと違っていたけどね。幼なじみでも何でもない他人が同じ匂いをかぎつけたように集まってきた。グルーブという匂いだったのかもしれない。事実彼らはプライベートのことはお互いにあまり知らないのだ。共通の話題はバブの音楽についてのみ。後は常に出し合う音で会話していた。比喩的な表現と思っていたコミュニケーションとしての音楽。これだけでも人間の絆は深まっていくのだ。これから記することは関係者にとっては辛いことである。だが”けだものみち”としてけだものマガジンを掲載する上では避けて通れない事実でありいつかは思い出になることであると信じている。2002,1月白河ベンドカフェで開催されたバブレモンのギグにバブダチョウ大野の姿はなかった。年末の平安閣ライブから2か月あまり。その間2回ほどライブをやっただろうか。
若くして病魔に冒され一時は克服したg大野にとって、2001年夏に彼を襲った身体の異変が何を意味するかを知る者は少なかった。だが入退院を繰り返しながら貪欲にライブを要求する彼の姿からやがて訪れるであろう悲劇を覚悟していたのかもしれない。思えば入院しつつも時間限定でライブのために抜け出す彼の姿を見る、医者や身内の人々も同じ思いであったのか。とにかくも2001年末の彼は音楽をライブを…そうライブを楽しんでいたのだろう。身体の外にはもはや自分の身体からは分泌されなくなった液体をビニール袋でぶら下げ、しかもお客さんには笑顔でギャグを飛ばし歌を唄う。黄疸で黄色くなった顔色を気にしながら苦痛も漏らさずライブをこなす。さぞや痛かったろうに…。今思えば壮絶な事実ではあるが、彼の明るさがそれを感じさせなかった。私も治ると思っていたのだ。事実を知る一部の人たちも辛かったであろう。そして年明け2002,1月再び彼は病床に伏した。